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 店主のおぼえがき

  

小堀四郎氏との出会い

NHKテレビの「在宅看取り介護」の特集番組の冒頭で小堀鴎一郎の名前を聞いた時三十五年前の記憶が鮮明に蘇り洋画家の小堀四郎氏のご子息に間違いないと一瞬に思った。

その当時、知人から藤島武二の作品の鑑定を依頼された。昔、銀座の有名な画廊で購入した作品だがサインがない。鑑定証がつけば処分したいとのことだった。自分はまだその頃物故洋画を扱い始めたばかりで作品の善し悪しなど判断できる能力はまったくなかった。藤島武二の鑑定人が小堀四郎氏であることがわかり、小田急線の梅ヶ丘の自宅に伺った。鬱蒼としたツタの絡まる洋館であった。たしか玄関を入ってすぐ右手がアトリエで天井の高い十畳ほどの部屋であった。天井からは所狭ましと大きな油彩のキャンバスの作品がぶら下がっていた。小堀氏は小柄で温厚な顔容であったが、差し出した板の作品を手にするやいなや「先生がこんな絵を画くわけがない‼」と言うや,床に作品を叩きつけた。

茫然自失、こちらは一言も言葉を発することができなかった。それから、高僧が不肖の弟子を諭すように諄々と言われた。
「画家のドーミエを勉強しなさい。そして毎日でも美術館に通って名画を観ることで絵を見る目を養いなさい。」

 ほうほうの態で礼を述べ、玄関まで出ると、小堀夫人から丁重な見送りの言葉を受けた。その時夫人が小堀氏を慈しんでおられるのを感じた。そしてこの夫婦は仲のよい夫婦であることがわかった。

小堀氏は師である藤島武二の「画壇の悪風に染まるな。芸術は人なり。まず人間を作れ。」の言葉を忠実に守り、孤高の画家の態度を貫き通した。その生涯を支えたのが小堀杏奴夫人であったことを後日知った。その日、帰る道々何故か爽快な気分を味わった。三十五年前、小堀氏八十二歳、夫人は七十五歳であった。

 小堀四郎回顧展で「小学初年生頃の鴎一郎、一九四五年頃・未完」の作品がはじめて展示された。