雨田光平  あまだこうへい  18931985
 卒業制作の「女の顔」が第10回文展に入賞し早くからその才能が評価された。1920年〈大正9年〉に渡欧し9年間の 滞欧生活を送る。帰国後は構造社展、帝展、二科展などで活躍した。ハープ奏者、箏の演奏家としても著名。