赤松燐作 あかまつりんさく

明治11年-昭和28年 (1878-1953)
岡山県津山に生まれる。明治16年(1883)一家で大阪の中之島に移る。明治29年(1896)、東京美術学校で黒田清輝に師事。
明治35年 (1902)、「夜汽車」が白馬賞を受賞。明治37年(1904)大阪朝日新聞社(北区中之島3丁目)に入社。
明治43年(1910)、梅田に洋画塾 (現:JR大阪駅の北側付近。大正11年(1922)頃、大阪駅の拡張で立ち退く)を開く。
大正15年(1926)心斎橋筋の丹平ハウスに赤松洋画研究所を設立する。戦後、大阪市立美術研究所で教鞭をとった。
後進を育てるなど大阪洋画の台頭に果たした役割は大きい。門下生に佐伯祐三らがいる。
昭和28年 (1953)天王寺区で死去