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 三宅克己という水彩画家 Ⅱ

さて、ここに掲載した鉛筆画は三宅の徴兵時代のものと思われますが(図2)、こうした初期の鉛筆画を見ても、晩年にまで通じる要素がいくつもあります。そのひとつは絵画として画面を構築しているところです。カメラで撮影する場合、絞りの値を高くすると手前から奥までピントの合う範囲が広がります。この絵も、藤棚にいる二人の人物から遠方の家屋にいたるまで様々なところにピントが合っています。しかし、手前の蓮や中景の樹々はぼやけたところがあります。絵画はある部分だけ意図的にぼやかしたりピントを合わせることができたりする自由度が高く、画面全体の中でそれらのバランスやメリハリをどうつけていくのかというところは画家の感性に負うところが大きい。そのあたりの「絵画化する」という感覚が初期の作品にもみられます。そしてもうひとつは輪郭線に対する繊細な意識です。空と明るい屋根の境目、明度の近い蓮の葉どうしの境目など、最低限必要なところにだけ輪郭線が入っていますし、遠近の違いや材質の違いで太さや強さが異なっています。鑑賞する私たちに輪郭線の抑揚を追っていく楽しさを提供してくれています。

さらに、この初期の鉛筆画から感じ取れるのは、この景色に対してどういった感覚を表現すればよいかを意識しながら描いていると思われるところです。手前から中景にかけて描き込まない部分を敢えて設けることですっと絵のなかへと入っていける、包み込まれるような感覚。そして爽やかで浮き立つような気分や雰囲気などを見て取ることができるでしょう。

続いては、三宅克己34歳の年に描いた伊豆の風景画です。アメリカ東部のイェール大学付属美術学校で学び、水彩画の本場イギリスでの滞在なども経験した後の作品になります(図3)。先を尖らせた鉛筆による繊細な線で風景の大まかなアウトラインを描き、丁寧に色味を調合した水彩絵具で岩や樹々などそれぞれを塗り分けている。小さくてわかりづらいかもしれませんが、この写真は水彩画の額とマットを取り外した状態で撮影していて、絵の周囲の紙の余白部分、ちょうどマットで隠れる部分にさまざまな色の点々が付けられています。グラビア印刷の切手をシートごと購入した際に余白に見かけるあのカラーマークのようです。この作品のような緻密な水彩画は失敗するとやり直しができない。水彩画ブームの波に乗り、忙しい合間を縫っての制作だったのでしょうが、全身全霊を傾ける制作姿勢が伝わってきます。

(註 1)三宅克己「懐古作画について」『五十年前懐古水彩画集』日動画廊   1943

               (サイトウミュージアム学藝員 田中善明)

 

 




図2《麻布第一連隊兵営内》明治 281895)年頃  サイトウミュージアム蔵


図3《伊豆湯ヶ嶋の秋色》明治 411908)年 
           サイトウミュージアム蔵