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2026年new 三宅克己という 水彩画家 Ⅳ 2025年 三宅克巳という 水彩画家Ⅰ 三宅克巳という 水彩画家Ⅱ 三宅克巳という 水彩画家 Ⅲ 2022年 林倭衛とその周辺 2019年 小堀四郞氏との 出会い 2013年 ナポリ伝説 荒井龍男氏回想 2013年 夏の八甲田山 2012年 私のゴッホ体験 |
三宅克巳という水彩画家 Ⅱ 一生を水彩画家として全うした三宅克己。菱田春草、小室翠雲、中沢弘光、満谷国四郎、鹿子木孟郎、和田英作らと同じく、生まれたのは明治7(1874)年のことでした。洋画界では高橋由一や山本芳翠らの第一世代があり、その後に続いた黒田清輝や久米桂一郎、藤島武二らの第二世代が東京美術学校に新設された西洋画科で指導、今日にも影響が残るほどの教育制度や美術の制度の基盤を作りました。そして、大正期にはゴッホやゴーギャン、セザンヌなどの生き方や表現に刺激を受けた岸田劉生、萬鉄五郎、村山槐多らの若い画家や、ヨーロッパから帰国した有島生馬、梅原龍三郎、安井曽太郎らの活躍に注目が集まります。 「本書は独学によりて水彩画を学ばんと欲する諸士のために著したるものなれば、その説くところなるべく平易簡明ならんことを期したり。ゆえに師に就きて専門に習得せんと欲する者のためには、あるいは何らの価値無かるべし。 著者元来文筆の才能無く、その説くところ述ぶるところ、あるいは前後矛盾、あたかも麻の乱れたるがごときものあらん。もしそれ文字の誤謬、文意の不明なる点に至っては、ほとんど指摘なすにいとまあらざるべし。読者幸いに余が不文の罪をとがめたまわざれば、著者においてこの上の幸福あるなし。(漢字の一部をひらがなに変更)」 多少の誤りは大目に見てくださいとの断りが、人間っぽくて良いですね。この序文だけでも人心をつかむ文才を感じます。三宅が水彩画家として生きていく覚悟が早くからできたのは、一つには大野幸彦という工部美術学校出身者の画塾で行われていたイタリア古典風の教育方法が三宅には息苦しかったこと、そして画塾で学び始めて1年後の、まだ駆け出しの時期にイギリス水彩画家が描いたヨーロッパの風景でなく日本の風景画を目にし「一時百雷に打たれた程の強烈な感激を受け」(註1)たことが大きかったのかもしれません。当時、師の大野からはまだ水彩画の制作が許されていなかった段階で、こうした時期に本場の水彩画に出会えた体験は、中沢弘光や岡田三郎助など入塾時期のより早かった画家たちとは受容する新鮮な感覚が異なっていたものと思われます。 |
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